翻訳不可能な詩について

 私が受講しているアラビア語教室では現在エジプトのノーベル賞受賞作家ナギーブ・マフフーズの小説を読んでいます。

 この教室では基本的に日本人の先生のもとでアラビア語のテキストを輪読形式で翻訳する授業があり、月に1-2回アラブ人の先生との会話の授業があります。輪読の授業の中で読んだナギーブ・マフフーズの小説の中で登場する詩が先生にも理解できず、翌週にアラブ人の先生の力を借りてようやく理解することができました。ここでその詩の直訳を紹介しつつ、それがどのような意味になるのかアラブ人の先生に教えてもらった内容を紹介します。

 

あなたがたが来るのがわかっていたら

心臓の鮮血か目の黒いところを床に敷き詰めたのに

わたしたちの頬を床に敷き詰めたのに

そしてわたしたちは会って、

道のりはまぶたの上になるでしょう

 

 この詩は小説の中で突然現れた客に歌うように頼まれた女性が歌った(おそらく物語上は即興という設定の)詩です。身体を切り刻んで床に敷き詰める描写はなんだかグロテスクだし、「道のりはまぶたの上」というのも意味不明です。ところがその客はこの詩に何の疑問も抱かず喜んだようです。

 

 アラブ人の先生に聞いたこの詩の解説は以下のようなものでした。

 アラブでは友人を家に呼ぶときに「あなたがうちに来るときにはバラを床に敷き詰めましょう」という決まり文句がある。アラブの伝統的な家では床に絨毯を敷くが、敷物を良いものに取り換えることが客への歓迎の印になるという考え方があり、そのため歓迎の意を示すために現実的ではない敷物を提案することがある。もちろん本当に敷き詰めるわけではない。

 また、アラブの価値観では心臓や目は大切で美しいもので、客を歓迎するときには「あなたを私の心臓の中に置きましょう」とか「あなたを私の両目の間に置きましょう」という決まり文句がある。だから心臓の血や目を敷き詰めるという表現が出てくる。頬はなめらかで柔らかい部分なので床に敷いてあったら快適だろうということで、頬を敷き詰めるというのも歓迎の意味である。

 「道のりはまぶたの上」という箇所の道のりとは客との間に交わされる会話のことで、まぶたの上というのはお互いに見つめ合うということを意味する。

 ということで、猟奇的な詩に見えましたが、実際は純粋に客を歓迎する詩でした。

 

 文学的文章はしばしば翻訳が困難で意訳を求められることが多くあります。この詩の場合「道のりはまぶたの上」の部分は「見つめ合って話しましょう」のように意訳できますが、その前の「心臓の鮮血を敷き詰める」というような部分は心臓とか目の黒いところといった言葉選びにこの詩の特徴があるので意訳したらもはや別物になってしまいます。このような翻訳不可能な詩はアラビア語を勉強しているとしばしば出会いますが、ネイティブの先生にここまで丁寧に解説してもらえたのはまれなのでご紹介しました。